むらさきの空
2013年 06月 08日
まず最初に、
話の内容がかなりえぐいので、読まれる方は覚悟して読んでください。
悩んだんですが、伝え残すべき事と思ったので書くことにしました。
先日こんな事がありました。
京阪電車で淀屋橋から萱島へライブへ行く途中。始発駅なので電車も空いていたので、
ベースを立てかけて座っていました。
次の停車駅、北浜でおおきな荷物を持ったおばあさんが乗ってこられたので、
良かったらそうぞ、と席をお譲りしたら、「私は京橋で乗り換えだから良いのよ。」
っておっしゃて下さったのですが、「いえいえ、少しの間でもそうぞ。」と言うと、
「そう、ありがとうね。」と言って座っていただきました。
そしたらおばあさんが、私に話しかけてきたんです。
「私には、兄が居てね、合唱をやっていたからとっても歌が上手だったのよ。
その兄もね、22歳の時に徴兵に取られて26歳までロシアへ行ったの。
その間に、シベリアで捕虜になってしまって、極寒の地での捕虜は過酷だったらしい。
一日一食、極寒の地でしょ。毎日バタンバタンと人が死んでいくのよ。
わかる?極寒の地で捕虜になって一日一食よ。
毎日人が死んでいくので、死体置き場は山のようになって。
そしたらロシア兵に死体を焼け!と命令されて、
そこへ死んだ人を運ぶんだけど極寒の地だから死んだ人が凍るでしょ。
運ぼうと思っても、足や手や首がボキンボキンと折れてしまうんだって。
ひどい話よね。
そんな中、私の兄は、歌がとっても上手だったから慰問へ行けたのよ。
慰問へ行って歌を歌ったら、食べさせてもらえるんだって。
だからそんな過酷な状況下でも生き延びる事ができたらしい。」
「こんな詞があるわ。」
って詞を聞かせて頂いたんですがほとんど聞き取れなかった。
ただ、「むらさきの空」と言うことばと、くくりは「夢破れて。」でした。
「その兄が大阪へ帰ってきて、歌を志して東京へ行ったんだけど、
結局上手く行かなかったの。
その兄も、3年前に86歳で死んじゃったんだけど。
芸は身を助くって言うけど、音楽はあなたを助けてくれるから、
がんばってね。
今とは時代が違うから死ぬなんて事は無いけどね(笑)
楽器を持ってるから音楽されてるんでしょ?
急に兄の事を思い出してね。」
そして京橋へ着いて、おばあさんは「席を譲ってくれてありがとう。」
と言って下りていきました。
私は、「こちらこそ、とっても貴重なお話を聞かせていただいてありがとうございました。」
と伝えました。
北浜から、京橋の間の10分弱の間でしたが、
そのおばあさんと、お兄さんの人生の物語の中へ少しお邪魔できることが出来て、
なんかとっても暖かい、でもどこか悲しいとっても不思議な気持ちになりました。
そんな、どっちかと言えば言いたくないようなお話を、見ず知らずの私にして頂いて、
とっても嬉しかったです。戦争の話も実際に生で聞いたことが無かったので貴重なお話でした
楽器を持っている私をみて、伝えなければいけない、と思ったのでしょうね。
そのおばあさんが降りて行った後、電車の窓から外の景色を見たら、
美しい夕焼けの「むらさきの空」でした。
あのおばあさん、音楽の神様だったかもしれないな。
話の内容がかなりえぐいので、読まれる方は覚悟して読んでください。
悩んだんですが、伝え残すべき事と思ったので書くことにしました。
先日こんな事がありました。
京阪電車で淀屋橋から萱島へライブへ行く途中。始発駅なので電車も空いていたので、
ベースを立てかけて座っていました。
次の停車駅、北浜でおおきな荷物を持ったおばあさんが乗ってこられたので、
良かったらそうぞ、と席をお譲りしたら、「私は京橋で乗り換えだから良いのよ。」
っておっしゃて下さったのですが、「いえいえ、少しの間でもそうぞ。」と言うと、
「そう、ありがとうね。」と言って座っていただきました。
そしたらおばあさんが、私に話しかけてきたんです。
「私には、兄が居てね、合唱をやっていたからとっても歌が上手だったのよ。
その兄もね、22歳の時に徴兵に取られて26歳までロシアへ行ったの。
その間に、シベリアで捕虜になってしまって、極寒の地での捕虜は過酷だったらしい。
一日一食、極寒の地でしょ。毎日バタンバタンと人が死んでいくのよ。
わかる?極寒の地で捕虜になって一日一食よ。
毎日人が死んでいくので、死体置き場は山のようになって。
そしたらロシア兵に死体を焼け!と命令されて、
そこへ死んだ人を運ぶんだけど極寒の地だから死んだ人が凍るでしょ。
運ぼうと思っても、足や手や首がボキンボキンと折れてしまうんだって。
ひどい話よね。
そんな中、私の兄は、歌がとっても上手だったから慰問へ行けたのよ。
慰問へ行って歌を歌ったら、食べさせてもらえるんだって。
だからそんな過酷な状況下でも生き延びる事ができたらしい。」
「こんな詞があるわ。」
って詞を聞かせて頂いたんですがほとんど聞き取れなかった。
ただ、「むらさきの空」と言うことばと、くくりは「夢破れて。」でした。
「その兄が大阪へ帰ってきて、歌を志して東京へ行ったんだけど、
結局上手く行かなかったの。
その兄も、3年前に86歳で死んじゃったんだけど。
芸は身を助くって言うけど、音楽はあなたを助けてくれるから、
がんばってね。
今とは時代が違うから死ぬなんて事は無いけどね(笑)
楽器を持ってるから音楽されてるんでしょ?
急に兄の事を思い出してね。」
そして京橋へ着いて、おばあさんは「席を譲ってくれてありがとう。」
と言って下りていきました。
私は、「こちらこそ、とっても貴重なお話を聞かせていただいてありがとうございました。」
と伝えました。
北浜から、京橋の間の10分弱の間でしたが、
そのおばあさんと、お兄さんの人生の物語の中へ少しお邪魔できることが出来て、
なんかとっても暖かい、でもどこか悲しいとっても不思議な気持ちになりました。
そんな、どっちかと言えば言いたくないようなお話を、見ず知らずの私にして頂いて、
とっても嬉しかったです。戦争の話も実際に生で聞いたことが無かったので貴重なお話でした
楽器を持っている私をみて、伝えなければいけない、と思ったのでしょうね。
そのおばあさんが降りて行った後、電車の窓から外の景色を見たら、
美しい夕焼けの「むらさきの空」でした。
あのおばあさん、音楽の神様だったかもしれないな。
by tomomikki
| 2013-06-08 16:01